処女性の脆弱さとモラル画
今日も生きてます。
今日でお正月も終わり!
通常運行で頑張っていこう!
という気持ちです。
上は実家の猫です。
いちばん暖かい場所(=ストーブ前)で丸くなってます。
君はいつでもゆっくりまったりで羨ましいなあ。たまに猫になりたくなるよ。
さて、今日も筑摩書房から出版されている「美少女美術史」池上英洋さん荒井咲紀さん著を読んでます。
肖像画でもなく、歴史がでもなく、聖書の1場面でもありません。
この絵は何を表しているのでしょうか?
作者はジャン=バティスト・グルーズで、「壊れた甕」(1772)という題名です。
この作家は少女たちの処女性の脆弱さを取り上げた教訓画を得意としました。
絵の中の壊れたモチーフは処女性の喪失のメタファーになっています。
こういった作品は男性が注文してるのでは?と思いきやこの絵を注文したのはルイ15世の愛人デュバリー伯爵夫人だったそうです。
鳥と少女
夢見る少女
上の作品も同じ作家です。
どちらも最初の作品と同じテーマです。
鳥は性的な感覚とされた触覚のシンボルでした。
こちらはヤン・ファン・ベイレルトの「猫をあやす少女」(1630)です。
猫をあやす子供は北方の絵画でしばしば用いられました。
伝統的に猫は悪魔的な動物と見なされていたそうです。
上の絵のようにヌードの女性と結びつけると猫の引っ掻き傷が性的な痛みの暗示にもなります。
こういったような解釈から、このモデルを駆け出しの娼婦と見る人もいます。
最初の絵の作者グルーズは当時絵のテーマのヒエラルキーの中で上位であった歴史画家として認められたいと思いながら夢叶わず風俗画家としてのみアカデミーへの入会が認められた画家でした。
大衆が望むものを描く手腕は確かだったのでしょう。
歴史画が叶わなかったから性的な絵も開き直って描いてたのかもな、なんて思いました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。