ジョン・ラスキンーラファエル前派支援者ー
今日も生きています。
実家で熊が出る夢を見ました。(実家という点がリアル)熊は近くでみるととても大きくて黒くて怖かったです。
とりあえず死んだフリをして乗りきりました。
現実で通用するかはわかりません。
さて、今日はラファエル前派を支持した批評家ジョン・ラスキンについてです。
上はミレイが描いたジョン・ラスキンです。
肖像がですが背景の自然まで細部の細部まで描写されています。
ジョン・ラスキンは裕福なシェリー製造業者の家に生まれました。小さな頃から両親と共にヨーロッパ旅行へ出掛けていたそうです。
当時の教養の一環として水彩画や素描を習っていました。20歳頃になるとメソッドに基づいた技法を不自然と感じるようになり、自然観察に基づく科学的で精密な素描をしました。
23歳でラファエル前派にも影響を与えた近代画家論第一巻を書きます。
その中でラスキンは自然の中に存在する美を、ひとつひとつが神の業である、それゆえにいかなる細部も神の叡知の顕現であると見なしていました。
そう主張するラスキンにとってラファエル前派の対象を細部にわたり写実的に描く態度は奨励すべきものでした。だからラファエル前派を擁護したのですね。
また、ラスキンはトマス・カーライルの中世主義の思想に影響を受けていました。
産業革命で物が豊かになったが、過去に比べてより多くの貧困も生み出していると考え、功利主義の競争社会である現代よりも、温情のある父権主義な封建社会の中世の方がいいところもあったのではないかという考え方です。
なんだかものが豊かになったのに貧困も生み出されるというのは現代にも通じますね。
ラファエル前派は15世紀のイタリアやフランドルの画家の作品に共感を覚えていました。中世に対する思いも共通していたんですね。
というよりもこの時代に中世という時代の美術も政治も再評価される風潮があったようです。
それまでは迷信と恐怖に満ちたイメージが中世にはありましたが、それがなくなりつつありました。
美術評論家やコレクターの間にもルネサンス美術に比べて稚拙と見なされていた初期イタリア・ルネサンス美術への関心が高まっていました。
あとラファエル前派のメンバーの一人ミレイとジョン・ラスキンが一緒に旅行したときにジョン・ラスキンの妻とミレイが恋をしてしまい、その後ジョン・ラスキンと離婚してミレイと結婚しています。
仲こじれそうですがその後もジョン・ラスキンとミレイは交友を続けたそうです。なんてこったい。
また、ジョン・ラスキンは風景画を描いたジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーという画家も支援していました。
しかし彼が描いた裸婦をイメージを壊すという理由で全部焼却処分したそうです。
この人鬼畜だ。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。