象徴主義
今日も生きてます。
秋田に住んでいたとき、たまに学校から帰るときに吹雪の時がありました。雪が顔にべちべち当たるし、目開けられないし、向かい風過ぎて息ができないし、なんかもうひどすぎて友達と大爆笑して下校していました。
気温が下がると肌に空気が突き刺さるような感覚ですよね。寒さや雪がしんどい時は頭の中に暴力の二文字が浮かびます。またはいじめ。これは自然の陰湿ないじめだ。そうに違いない、とぶつけられない怒りを自然に向けています。
雪が音を飲み込んでしまったようなシーンと静まり返った冬の夜は好きだなあ。ざくざく雪を踏む音だけ響いているような。東京だと感じることはありませんが、秋田だと歩いている人少ないから世界に私一人だけかも。みたいな気分を一瞬味わえます。
しんどいのは寒さではなくて風かもしれません。なんだか関係のない季節の話をしてしまいました。
今日は象徴主義についてです。
前々回ブログに書いたラファエル前派(19世紀にイギリスのジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホフマン・ハント、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの三人の画家を中心に結成された美術のグループ)が美術史の中ではどんな区分なのかなーと調べてたら象徴主義という部類に入るようです。
見えづらいかな…
上の図は下の私が読んでいる視覚デザイン研究所から出ている鑑賞のための西洋美術史入門という本の端にのっているグラフです。本当は縦で載っているんですが横の方が見やすいかな…。どちらも載せておきますか。
グラフを見ると象徴主義は印象派と同時代のものであることがわかります。
イメージとしては印象派(モネやルノワール)はフランスパリを中心に起こったことで、象徴主義はフランス含むヨーロッパと分けておくと考えやすいかもしれません。
美術史の中の○○主義や○○派って当時の作家が自称して集まっているものは少なくて、大体批評家にそのように表現されたり、後の歴史学者がつけたりしたものなので、この技法を使っているから○○派というわけではないのだなと思います。つまりわかりにくいです。
何を表現してるかが○○派の区分けの基準です。
象徴主義は何を表現しているかというと言葉の通り何かを象徴する絵を描いている作家の事です。そのなにかというのは「目に見えないもの」のことです。
目に見えないものとは何かというと人間の内面性(いろいろな感情など)や神秘性の事のようです。ラファエル前派は象徴主義の先駆け的存在だと美術史の中では位置づけられています。
ラファエル前派のことについてちょっと見てみようと思ったら深みにハマりそうです。明日に続きます。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。