四千年前の√2
今日も生きてます。
個展が終わり、事務をもくもくとする日です。きちんとするのは苦手ですが、きちんとするときはきちんとしないとと思いながらやっています。
さて、昨日まで√2に関することをいろいろととりあげていました。今日も「法隆寺にひそむ白銀比 五稜郭にひそむ黄金比」べレ出版、江藤邦彦著から四千年前の√2について書きたいと思います。私のような数学苦手な人間でも第1話は読めました、すごい本や。
三平方の定理についてもとりあげましたが、この定理を最初に証明したのはピタゴラスですが、定理自体は古代バビロニアでも使われていました。
(古代バビロニアは紀元前1792年、メソポタミア(現在のイラク)南部を占める地域、またはそこに興ったアムル人が建てた王国。)
バビロニアでは粘土板に棒などを削って描いた楔形文字という文字が使われていました。その粘土板に√2が示されているものがあるようです。
↓の画像はその粘土板。良く見えません。
↓図解するとこうなるそうです。
↓楔形文字を数字に直すとこう示されています。(だいぶみやすい)
正方形の中の2列ある数式の内上の方の数は
これは六十進法で表されているものだそうです。六十進法は60集まるとそれを一つの束にして一つ上げて数を表す方法らしい。(わからん)
現代風に示すとこうなります。↓
1.41421296…というのは√2の値と小数点以下第5位まで同じ。つまほぼ√2を表しています。
下の方の数字は
同じように現代風に示すと
正方形の中の二列の上の数字を30倍するとちょうど二列の下の数字になります。ここで向かって左上にある微妙な位置の30との関係と平方根の定理を考えると、正方形の中の数字は一辺の長さが30の正方形の対角線の長さを表していたのでした。
本にも書かれていましたが、思うのはなぜそんなことを粘土板に記したんだろう?ということです。笑 粘土板って高価なものでは無かったのかなー?しかもその粘土板が四千年の時を超えて今に残ってしまっているのがすごい。この正方形の対角線の長さだけは後世に残したい…そんな思いが願ってしまったのかも。バビロニア人に聞いてみたいですね。みなさんはなんでだと思いますか?
今日はここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございました。