鎌倉文士と浦和画家
今日も生きてます。
さいたまのタウン情報紙「Acoreおおみや」の公式websiteにて、個展の紹介をしていただきました。
ありがとうございます。
記事のなかで「鎌倉文士と浦和画家」という言葉がでています。
私はこの言葉を埼玉新聞の記者さんの記事で初めて知りました。
この言葉が使われ始めたきっかけは1923年の関東大震災です。横浜や東京より被害の少なかった鎌倉や浦和に文化人が多く移り住み、そこで創作活動をされていました。
鎌倉では芥川龍之介や志賀直哉、浦和では人間国宝と認定された彫刻家・内藤四朗や、デッサンの神様といわれた寺内萬治郎という画家がいたようです。
今調べて分かったことですが寺内萬次郎という方は浦和画家として有名な方で「デッサンの神様」以外にも「裸婦の寺内」「裸婦を描く聖者」といったような異名があったそうです。誰が言ったんでしょうか。異名がつくほどの素晴らしい技術をお持ちだったんですね。尊敬します。正直今まで聞いたことありませんでしたが、そこまで言われるんだったら実物みてみたいと思いますよね。
埼玉県立近代美術館が所蔵しているようです。気になった方はGOです。そしてその帰りには伊勢丹浦和の明石の個展に寄って頂けましたら在廊している明石が喜びます。よろしくお願いいたします。
詳細はこちらから
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
最後までご覧いただきありがとうございました。