リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

刀より絵筆を選んだサムライー高橋由一(たかはしゆいち)ー

今日も生きてます。

 

玄関のドアを開けるとむわ~んと暑い日が続いてますね。

先日ウォーホルの作品をブログで取り上げたのでウォーホルの代表作のモチーフにもなっているキャンベルスープ缶購入してみました。何作ろうかなあ…

 

 

 

 

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高橋由一「鮭」

高橋由一 - https://web.archive.org/web/20080222053001/http://www.nichiro.co.jp/salmon/culture/02.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=901005による

 

↑の画像は、日本初の鮭です。

(なんかしょっぱそうな鮭だよね。じゅるり。)


何が日本初か?というと、油絵で描かれた日本初の鮭です。

歴史の教科書にもこの鮭が日本初として掲載されているはずです。

この鮭の絵を描いたのは高橋由一です。

黒田清輝がクローズアップされがちですが、日本で最初に洋画を普及させるように尽力したのは高橋由一です。


実はこの鮭の作品、見たことあるのですが、その時教養不足で(爆)あまり良く見てなかったんですよね…。(オーマイガー)


またいつ鮭と出会ってもいいように、高橋由一の作品と人生を取り上げます。

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不明 - [1] Mie Prefectural Museum of Art, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8904234により引用

 

今回ブログを書くにあたって読んだ本は「高橋由一 ー日本絵画の父」(吉田亮著、中公新書)です。

高橋由一が日本に洋画を普及させようと四苦八苦している様子が記されており、由一に挫折がある度に胸が痛くなりました。

 

 

 

高橋由―は下野国佐野藩士の父である高橋源十郎の元に生まれます。父親は江戸詰めの身分であったため、由一は江戸で生まれ育ちます。

 

日本洋画の父と呼ばれる高橋由一は武士のおうちの子供だったんですねー。

 

 

9歳で藩主の堀田正衝に仕えます。

藩では公務を勤め、家では祖父から厳しく武術を習いました。

 

 

絵は、12.13歳から、狩野派について絵を習います。小さな頃から絵は得意でありました。20歳では広尾稲荷拝殿の天井墨龍図を描いています。

 

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高橋由一「広尾稲荷拝殿天井墨龍図」

Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/bunkazai/bunkazai.cgi?id=5125, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33562824による

 

 

絵を学びたい気持ちはあったようですが、下級武士として忙しく勤務していた高橋由一にはそのような暇はありませんでした。この頃は武士を廃業してまで絵を生業にする気持ちはなかったようです。

 

 

そして高橋由―は人生を左右する衝撃的出会いをします。
それは洋風の石版画でした。

 

高橋由一の口伝を息子がまとめた「高橋由一履歴」の中では、このときの様子を次のように記しています。


「喜永年間、或る友人より洋製石板を拝観せし、悉皆真に迫りたるが上に一の趣味のあることを発見し」


しかしその後洋画を学べるところを探しても見つからず、むなしい日々を続けることになります。

 

 

 

 

35歳、そんな由一に転機が訪れます。
幕府が洋書調所画学局を設立したのです。


つてをたどって入局を果たした由一でしたが、幕府の公的研究機関である科学局でも、当時油彩画材や、洋紙や鉛筆を用意することはできませんでした。

 

 

油絵用のオイル密陀僧油で代用。(みつだそうゆ:荏胡麻の種子からとる油に鉛の酸化物質である銀密陀(ぎんみつだ)を混ぜたもの)

絵の具を練るナイフ→漆で使用するへらを代用。

パレットナイフ→竹やクジラの骨を加工したもので代用

顔料は日本画と同じものを使い

パレット→刺身皿の古いの

 

 

色々と工夫して代用していました。以前ブログでも取り上げた司馬江漢が描いたとされる油絵も、上のようなもので制作していたようです。

司馬江漢を知るー日本初の銅版画家ー - リアル絵描き日記

 

 

洋書調所画学局では油絵を描く機会はなかなか恵まれなかったようですが、博物学者が博物図鑑を制作するということで、画学局の局員たちは様々な動植物を描きました。

高橋由一も描きました。

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画材は紙に墨ですが、描き方は日本画とは違い、観察によった精密なものでした。

 

 

 

 

 

高橋由一の希望としては油絵を描きたいとずっと思っていたのですが、油絵を学ぶどころか、画材に触れる機会すら巡ってきません。もう30代も半ば…どうなる 高橋由一

そんな由一に運命の出会いが訪れます。

 

 

ということで今日はここまで。

次回に続きます、

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com