リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

楽しい宴会風景の中世絵画ーどの時代でも楽しい皆での食事ー

今日も生きてます。

 

「食べる西洋美術史」(宮下規久郎さん著、光文新書)読んでます。興味深いです。

 

 

「食事」をどう捉えるかというのはキリスト教が浸透する前と後ではだいぶ違うようです。七つの大罪の中に大食があるように、聖書の中には良いとされる食事と悪いとされる食事があります。

 

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ボッス「七つの大罪」の大食、マドリードプラド美術館、1485年

 

ボッスの七つの大罪の絵の中では、太った男性が鳥肉を食べています。そして左側の女性が追加の肉を運んできています。右側の痩せた男性は酒を瓶から直接飲んでいます。

 

汚い印象で表現されていてわかりやすいですがこのように過食と酩酊は悪い食事とされていたようです。キリスト教的な倫理観では、神のことを考え祈りながらパンを少しずついただくのがよい食事でした。

 

 

 

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ヘメッセン「放蕩息子」ブリュッセル王立美術館、1536年

 

食事の風景が描かれる画題の一つに、聖書のエピソード「放蕩息子」があります。

ざっくり放蕩息子のあらすじ

キリストが語ったたとえ話です。

あるお金持ちの父親が財産を二人の息子に分けます。弟の方は財産をもらうと家業を手伝う兄をしり目に家を出て、放蕩の限りをつくしてお金を使い果たしてしまいます。貧困に陥った弟は家に戻ります。そんな弟を父親は受け入れます。高価な服を着せ、宴会を開きました。その対応に怒り心頭の兄に向って、父親は死んでいたと思っていたものが生き返ったようなものだと諭しました。

 

この放蕩息子をテーマにした演劇などでは、贅沢三昧中、息子は女やら詐欺師やらに身ぐるみをはがされてたたき出されることになってしまいます。

 

このエピソードの中で描かれるのは息子が贅沢の限り放蕩している様子です。特に16世紀のフランドルでは淫蕩や大食、消費といった「悪」の要素てんこ盛りで描かれるのが好まれました。

 

上のヘメッセンの作品の中では男が着飾った女二人に囲まれて鼻の下を伸ばしています。若者の周りの人物は七人います。これがそれぞれ七つの大罪を示しているのでは?という見方もあるようです。

 

右側には何かがちいちゃく描かれています。

お金を巻き上げられて放逐される放蕩息子、父の家での宴会、豚の群れの中で回心する息子、が描かれています。

 

 

建前的には息子が身ぐるみはがされてとほほとなってしまうという教訓絵と捉えることもできますが、正直この作品をみると、何も知らない息子楽しそうです。このような場面が描かれたのは、悪と色に満ちた誘惑的な場面が魅力的であり人気であったと考えられるようです。

 

 

 

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ステーン「豆の王の祝宴(十二日節)」、カッセル州立美術館、1668年。

 

17世紀のフランドルやオランダでは放蕩息子の影響からか宴会の様子が描かれるようになりました。

↑のステーンの作品も宴会の風景が描かれています。

題名の豆の王とは、実際に行われたキリスト教由来の行事の名前です。豆を一粒だけ入れたケーキを焼き、豆入りのケーキを食べたものが王様になります。王様が王妃や侍従、侍医など役を振り分け、疑似宮廷をつくり、お酒を飲んで楽しむというものです。

 

こんな昔から王様ゲームがあったんですね。

 

絵画の中ではこの王様ゲームを楽しむ宴会の様子が描かれています。見ている方も楽しい気持ちになります。しかしこれも建前上はキリスト由来の行事を祝うという信仰に表向きの主題になっています。

 

 

 

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フランス・ハルス「聖ゲオルギウス市民隊幹部の会」、ハールレム、フランス・ハルス美術館、1624-27年

 

上の作品は市民の自衛団の肖像画です。画家のフランス・ハルスは集団の肖像画を描く際に作品のように宴会の情景をよく描いたそうです。

 

17世紀のフランドルやオランダでは、最初は教訓的な建前で描かれていた宴会を、明るい農民の生活の一部として描くようなります。当初あった否定的な意味合いは薄れました。

 

 

このようなものが描かれた背景には16-17世紀の中世で食料が常にあるわけでなく、飢饉が身近であったという事があります。食料も長くは貯蔵できず、いつ強奪されるかわからない、そのため食料があるとき、ハレの日には食べてしまおうというノリであったようです。

 

絵の中に描かれる人物はふくよかですが、実際にはありえない理想の姿で、このような宴会の絵画を自宅で飾ることで、飢えや欠乏の不安を描き消そうとしていました。

 

なんだか切なくなりますね…。

 

 

宴会図はイタリアやスペインでは少なかったようです。これはキリスト教が広まる以前の文化が影響しており、古代地中海世界では節食が良しとされていたことがあります。(それがキリスト教に受け継がれた。)

 

そして宴会図が多く描かれたフランドル・オランダの古代、ケルト・ゲルマン社会では、大食漢や暴飲暴食が良いもの(肉食が勇者にふさわしい)とされていことが影響されているのではと本中に書かれています。

 

 

 

 

日本でもともとの文化的にはどちらかというとたくさん食べる方が良いとされているように思います。もったいないとか食べ物を粗末にするなというような言葉がありますよね。でも今過食と肥満は敵ですよね~。

現代は世の中においしい食べ物があふれていて幸せです。

 悩ましい。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com