今日も生きてます。
8月ですね。
夏は好きです。
図書館で本を借りてきました。
黒田清輝の本を借りに行ったのに、結局黒田清輝の本を一冊も借りずに帰ってきてしまた…。私っておバカだな。
借りた本の一冊に荒俣宏さん著の「アラマタ珍奇館」(集英社)があります。
荒俣さんのコレクションの中で面白いものを紹介するといった内容のものです。以前人魚のミイラについて調べていた時に、荒俣さんが外国で購入して帰ってきた人魚のミイラを、当時結婚していた妻に気味悪がられ捨てられてしまったというような話をラジオで聞いたことがあり、荒俣さんの家の中にはいったいどんなものがコレクションされているのかと興味を持っていました。
(人魚のミイラは大抵猿の上半身と魚の下半身(?)をつなぎ合わせた物なので、決して美しいと思えるような代物ではないと思います。)
この本には「ヴンダーカマーの快楽」という副題がつけられています。ヴンダーカマーはドイツ語で、日本では「驚異の部屋(きょういのへや)」とも呼ばれるようです15世紀から18世紀にヨーロッパのお金持ちの間で流行した、様々な珍品を集めた博物陳列室です。超簡単に説明すると珍品コレクション部屋ですね。
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=85201879により引用
(Anonymous, for Ferrante Imperato) - http://www.ausgepackt.uni-erlangen.de/presse/download/index.shtml, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9172105により引用
その特徴は分野を隔てず一所に取り集められることです。後の時代には廃れていきましたが、今の博物館の前身となりました。
Wikipediaコモンズの驚異の部屋に関係する画像が面白い…。(※だが詳細は不明)
LSH 94991 (sm_dig5421), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36825584により引用
CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57851266により引用
CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57851266により引用
不明 - LSH 95008 (sm_dig5438), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36892273による
荒俣さんによると、日本にもヴンダーカマーに似たものがあったらしいのです。
その名も「耽奇会」。
この会は会員が月一回、おのおの珍品を持ち寄り鑑定し合うというものです。あやすぃ。文政7年の5月から翌年の11月まで開催されました。
メンバーには谷文晁や曲亭馬琴など、後世に名を残す有名人も参加しています。
(谷文晁は画家。以前ブログでも取り上げました。→谷文晁 - リアル絵描き日記曲亭馬琴は南総里見八犬伝などを書いた人気作家。)
コレクション資料はなんと復刻出版されているそうです。資料の名前「耽奇漫録」がなんだか気になる。
その後耽奇会の志(?)を継ぐものたちが昭和の時代にも「新耽奇会」を開催していたそうです。
場所も時代も越えて、珍品を愛する人間は存在するんですね。
アラマタ珍奇館のなかで私が気になった荒俣さんのコレクション↓↓↓
ミステリークロック
文字盤と胴体が透明な時計。一体どうやって時を刻んでいるのか…。
文字書きピエロ
ゼンマイで動くからくり人形
ジェニー・ハイバー
怪物の標本。するめっぽい…(口に入れたくはない)。
実際はエイの干物からつくられたもののようだ。
明治の看板衝立
井出らっきょうの看板らしい。ぱっとみ、怪しい薬の看板だと思いました。20万円程で購入されたそうです。
フランケンシュタイン手つき本
フランケンシュタインの本。
内容に合わせて装丁をここまで凝ったものにするなんて…世界観を大事にする姿勢に明石はロマンを感じました。
コオロギ入れ
荒俣先生が上海に行ったときに見つけた物らしいです。
ムシキングのように自身の持つコオロギを相手のコオロギと競わせる文化があるらしく、コオロギも販売されているが、そのコオロギを入れる器も販売されていたらしい。面白いです。
龍の連凧
中国には多種多様な凧があり、中でもこの凧は素晴らしく、制作者に譲ってもらえないか交渉したものらしい。
確かに大きくて顔可愛い。
面白いのは荒俣先生がこの凧を(日本円で)三万円で譲ってほしいと持ち掛けたときに、制作者は半年がかりでつくったからヤダと断ったそうですが、その金額をきいた制作者の兄が弟を殴って凧を奪い、荒俣先生に譲ってくれたという話。
「弟は涙ぐんでいた。不憫だが、収集のためだから、許せ。」
という一文がウケました。
私は執着して集めているものが無いので(制作の資料になりそうなものは手元にとどめるようにしている)、コレクターの気持ちはなかなか理解できないのですが、本の中で
「もう四十年近く奇書集めをしていると、自然に狙いどころが変化してくるのが分かる。別に移り気や浮気ではない。これまで関心のなかった分野がいきなり自分の守備範囲に割り込んでくると珍しいので目がそっちへ行くだけのことである。」
という文があり、狙いどころ・守備範囲などという言葉から少しコレクターの感覚を知ることができました。(自分の集める分野は守備なんだな…では攻撃は…?)
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。