リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

酔って絵筆を握る画家「浦上玉堂」(うらかみぎょくどう)

今日も生きてます。

 

今日も「マンガでわかる『日本絵画』の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー」監修矢島新を読んでいます。

 

 

時代に沿って有名な画家をみてきましたが、今日は江戸時代の文人画家「浦上玉堂(うらかみぎょくどう)」です。

 

 

文人画家の作品は個人的には難解です。

鑑賞には教養や知識が必要です。

 

ちなみに文人画とは何ぞやという方は以前ブログでも取り上げましたので、よろしければこちらをご覧ください。↓

与謝蕪村をもう一度学ぶ。 - リアル絵描き日記

 

とりあえず今日は第一歩ということで経歴と作品を見ていきます。

 

 

 

〇浦上玉堂の人生

 

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浦上春琴「玉堂寿像」 林原美術館

浦上春琴 - 図録「玉堂と春琴・秋琴 浦上玉堂父子の芸術」福島県立博物館 平成4年, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19487038により引用

1745年

備前岡山藩池田家に仕える武士の子供として岡山城下の藩邸内(岡山市北区神町)に生まれました。

 

7歳 

父の病没により7歳で家督を相続します。

 

16歳

鴨方藩である池田政香に初めて会います。

その後側近となり忠誠を尽くし、順調に出世します。

 

24歳

池田政香が25歳の若さで病死してしまいます。

 浦上玉堂は葬儀を取り締まる大役を果たします。

 

31歳

参勤交代の御供頭(おともがしら)になります。

 

玉堂はこの頃、学術(儒学・医学・薬学)や芸術(詩・音楽・七絃琴)分野の関心が強くなります。

特に七絃琴は、演奏家、作曲家、造琴家としても活躍するようになります。


 

37歳

藩の重職になります。

 

 

 

40歳代

本格的に画業を始めます。

 

 

43歳

左遷されます。

(芸術活動がふさわしくないと思われたか。)

 

48歳

妻を亡くします。

 

 

49歳

脱藩届を送ります。

そして長男の春琴(16歳)と次男である秋琴(10歳)を連れて岡山を発ちます

 

 

 

脱藩後の玉堂は諸国を遊歴します。

 

連れていた息子たちとは、江戸で春琴、会津で秋琴と別れます。

 

会津を発ってからは、諏訪、京都、大阪などをまわりました。

 

 

50歳代後半

京都を中心に活動します。

 

 

60歳

京都、大阪、名古屋に姿を現します。

 

60歳代前半

周防、再び大阪、水戸、飛騨、金沢を訪ねます。

 

長崎では、幕臣かつ文筆家の大田南畝

広島では、儒学者の頼春水と漢詩人の菅茶山

大阪では、文人画家の田能村竹田

金沢では、藩士文人の寺島応養

 

各地で様々な文化人と交流します。

 

 

 

67歳

京都に暮らす長男の春琴のもとへ身を寄せる。

 

その頃の春琴は関西きっての人気画人となっていた。

 

 

76歳

亡くなります。

玉堂は本能寺に葬られ、春琴とともに眠っています。

 

 

 

 

 

〇浦上玉堂の作品

 

 

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浦上玉堂「山雨染衣図」 需要文化財

Uragami Gyokudō - http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1972, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42463371により引用

 

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浦上玉堂「凍雲篩雪図」国宝

Uragami Gyokudo(1745 - 1820) 浦上玉堂 - Kawabata Foundation (公益財団法人 川端康成記念会) 記念館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2091434により引用

 

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浦上玉堂「双峰挿雲図」

Uragami Gyokudô - Catalogue, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26868332により引用

 

 

 

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浦上玉堂「山紅於染図」愛知美術館

「マンガでわかる『日本絵画』の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー」矢島新監修、誠光堂誠光社より引用


独学で絵を学んだ浦上玉堂。

やわらかな線など、中国文人画の影響を強く受けた画風です。

 

独自の画風を確立しましたが、職業画家としてみられることを嫌い、その姿勢を生涯貫きました。

 

上の作品は左上上部には「酔作」と書かれており、酔って絵筆を握ることも多かったそうです。

 

友と酒、そして琴を愛し、各地を旅して暮らしました。

 
35歳の時に手に入れた七絃琴に刻まれていた琴銘「玉堂清韻」にちなみ玉堂琴士と名乗るようになります。

 

 

 

 

 

〇息子たちの作品

浦上玉堂の息子たちも絵を描いています。

特に長男の春琴は人気画家として活躍します。

弟秋琴は藩士として活躍し、芸術活動としては音楽方面が多かったようです。

 

 

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浦上春琴「模施溥倣董北苑筆意山水図」

浦上春琴 - 図録「玉堂と春琴・秋琴 浦上玉堂父子の芸術」福島県立博物館 平成4年, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19486989により引用

 

 

 

 

 

 

 

 

川端康成ドラッガーブルーノ・タウトなど…浦上玉堂を愛した有名人はたくさんいる様です。

 

個人的な感想を言ってしまうと、私には浦上玉堂より、息子の春琴の作品の方が絵として良いようにみえます。というより息子の絵は素直に素晴らしいと感じられます。

 

これは春琴は職業画家として絵を描いていたため、一般にも理解しやすいような絵の魅力があるのかなと思います。

はっきり言うと息子の方が色も形もわかりやすいし、洗練されているように感じます。

 

実際みてないので実物を見ると浦上玉堂の良さもわかるのかもしれません。

 

浦上玉堂の作品は自分のために描いている作品ということもあり、もうちっと説明が欲しい感が個人的にはあります。

 

ですがこれが画風で個性で良いところというのが現代の評価なのかもしれません。

 

画題の理解が進むともっと鑑賞につながりかもしれないな…

 

 

ちなみに私は酔って筆を握ることは無いです。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com