リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

酒井抱一を知る

今日も生きてます。

 

雨が降っています。

 

以前道を普通に歩いていたら、なぜ水たまりを避けずに歩くのか聞かれました。

 

逆にどこでみんな教えてもらってるんだろうか。

 

考え事していたり、目を引くものが視界の中に入ると、不注意を極めてしまいます。

 

外ではもう少し気を張ろうと思います。

 

 

 

 

さて、「漫画でわかる『日本絵画』の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー」も読み進めて112ページです。

 

江戸時代中期の画家が終了し、今日から江戸時代後期の画家を見ていきます。

 

 

今日は酒井抱一(さかいほういつ)についてみていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒井抱一の人生

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雪月花図 MOA美術館

酒井抱一 - 0wEv1-oTzP4_3Q at Google Cultural Institute, zoom level maximum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29856614による


 

1761年

神田小川町姫路藩別邸で、後の姫路藩主の次男(第4子)として生まれます。

 

幼少期には両親が相次いで他界し、12歳のときに祖父も亡くなりました。

 

抱一は後の藩主になる6歳違いの兄・忠以が何かあった時の保険として育てられます。

 

 

 

 

 

1777年・17歳

元服して1,000石を与えられます。

兄に男児が生まれ、家督問題から抱一は解放されます。

 

抱一が生まれた家は文化や芸術に対して理解者が多く、抱一も影響を受けて育ちました。

 

絵は狩野派につき勉強し、1783年-1784年の頃には、浮世絵師の歌川豊春にも師事します。抱一の肉筆浮世絵は10点ほど現存しており、美人画は馴染みの遊女を気品ある姿で描いています。

 

 

 

 

1790年

兄が亡くなります。

 

1797年・37歳

抱一、出家します。

 

武家の身分から解放され、市中に暮らす隠士として芸術や文芸に専念できるようになりました。

 

 

寛政(1789年ー1801年)の半ば頃

抱一が尾形光琳に私淑し始めます。

 


1806年

宝井其角の百回忌にあたり、其角の肖像を百幅を描きます。

そこに其角の句を付け人々に贈ります。

宝井其角(たからい きかく)は江戸時代前期の俳諧師です。

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宝井其角(『國文学名家肖像集』)

Hannah - Japanese Book 『國文学名家肖像集』, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7847297による

 

 

1807年

光琳の子の養家小西家から尾形家の系図を照会します。

 

1813年

『緒方流略印譜』を刊行します。

落款や略歴などの基本情報を押さえ、宗達から始まる流派を「緒方流(尾形流)」として捉えます。

 

1815年

光琳没後100年にあり、光琳百回忌を開催します。

 

妙顕寺に「観音像」と「尾形流印譜」、金二百疋を寄附します。(1疋=10文のち25文)

根岸の寺院で光琳遺墨展を開催しました。

縮小版展覧図録である光琳百図』を出版します。

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Creator:Sakai Hōitsu - , CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59374752により引用

 

1819年

光琳墓碑の修築します。

 

1823年

光琳の弟である尾形乾山の作品集『乾山遺墨』を出版し、乾山の墓の近くにも碑を建てます。

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Creator:Sakai Hōitsu - CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58780759により引用

 

1825年

光琳百図』を追補した光琳百図後編』二冊を出版します。

 

 

1829年・68歳

亡くなります。

弟子には鈴木其一など高名な絵師が多数います。

 

 

 

 

 

 

 

酒井抱一の作品

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月に秋草図屏風(第三・四扇目)重文

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11029057により引用

 

 

 

酒井抱一は俳句や絵をつくったアーティストとしても有名ですが、尾形光琳の研究者としての面も後世には大きな影響を与えているのかな~と思います。

 

 

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抱一の尾形光琳の屏風画を模写したもの

 

↑は酒井抱一風神雷神図屏風です。

 

酒井抱一尾形光琳風神雷神図屏風を模写しています。

 

尾形光琳が模写した俵屋宗達風神雷神図屏風を、酒井抱一は見たことが無かった説があるようです。

俵屋宗達のことを酒井抱一はどう思っていたのかな…

 

1821年、酒井抱一は絵の依頼を受けます。

将軍家斉の父一橋治済へ、古希を迎えた治済の祝辞のための作品を制作してほしいというもの。

なんと憧れている尾形光琳風神雷神図屏風』の裏面へです。

 

↓がその作品。

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「風雨草花図」(通称:「夏秋草図屏風」)


酒井抱一 - Emuseum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8332724により引用

現在は剥離され、別装されているようです。

 

個人的には草花の描写や控えめかつおしゃれな雰囲気が好きです。

 

描かれているモチーフや選ばれている色は、表に描かれていた尾形光琳風神雷神図屏風呼応するように表現されています。

 

・『風神雷神図屏風』の豪華な金地に対して、閑寂の趣の強い銀地を採用

 

・雷神隻の裏面には、雷神が引き起こした雨「夕立」の中の夏の植物が描かれています。

 

・風神隻の裏面には、風神が引き起こした風に吹かれる秋草が描かれています。

 

それぞれ神々の司る自然要素を季節に置き換えて描かれています。

 

 

 

 

尾形光琳のキンギラキンの様式をそのまま表現として使用するのではなく、光琳に対して俺なりの美意識をリスペクトしつつ描いているところがカッコいいです。

 

 

 

尾形光琳京都の作家

 

それに対して酒井抱一生粋の江戸っ子です。

 

琳派の中でも酒井抱一やその弟子鈴木基一は江戸琳派と称されます。

 

 

 

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書画扇面散図 谷文晁、春木南湖、亀田鵬斎、菊池五山との寄合書 ブルックリン美術館所蔵

酒井抱一 - Online Collection of Brooklyn Museum; Photo: Brooklyn Museum, 2004, TL2004.10.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10969435により引用

 

 

 

 

 

 

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桜図屏風(メトロポリタン美術館

Creator:Sakai Hōitsu - CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58776808により引用

 

 

 

 

誰かひとりすごく尊敬できる人間が居る人っていいなと思います。

それだけで幸せですよね。

 

実は私はそこまで尊敬できる存在ないんです。

もちろん尊敬してる作家や素晴らしいと思う作品はあります。

 

でも比べると熱量は低いだろうな。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

akashiaya.jimdofree.com