リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

商山四皓

今日も生きてます。

 

姉からもらった金沢土産が美味しいです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

さて、

中国って俗世から離れて暮らしていた偉人多いですよね。

 

今日も山の中にこもっていた賢人の話です。

 


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↑は曾我蕭白の描いた「商山四皓図屏風」(しょうざんしこうずびょうぶ)です。

 

 

商山というのは中国にある山。

「皓」という字には白いという意味があります。

 

絵のなかには四人のおじ様が描かれています。

 

四人とも髭や眉が白い老人であったため「四皓

」と呼ばれました。

 

 

 

商山の山奥には四人の賢人たちが秦始皇帝の暴政を避けて暮らしていました。

 

名前は

 

東園公(とうえんこう)

綺里季(きりき)

夏黄公(かおうこう)

甪里(ろくり)

 

 

中国の歴史書史記」には、彼らのエピソードがかかれています。

 

 

時は流れて漢の時代。

朝廷ではある問題が起こっていました。

 

漢の帝王劉邦が、正室の子供がいるにも関わらず、側室の子供に継がせようとしていたのです。

 

側近たちは大反対。

 

重臣は、この状況を打開するため、商山へ向かいます。

 

そしてどうにか説得し、賢人四人を皇太子の補佐役として宮廷に呼ぶことに成功します。

 

以前その賢人を呼ぶことに失敗していた帝王劉邦は、賢人たちが認めているならと、自分の正室の息子に次がせることを決めました。

 

跡継ぎ問題に利用された賢人たちは、商山へと再び帰っていきました。

 


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↑狩野光延
商山四皓・蘇東坡風水洞

 

 

高潔な人、世を捨てた隠者としてよく描かれました。

 

 

 

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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