リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

ダルマはなぜ手足がないの?

今日も生きてます。

 

「へんたい美術館」(ダイヤモンド社 山田五郎、こやま淳子著)が面白いです。

 

とてもわかりやすい…

 

レオナルド・ダ・ヴィンチが天才天才と持ち上げるテレビ番組って多いですけど、レオナルドの手記に残っている発明品のほとんどがアイデア倒れで実現不可能であることや、注文を受けた作品を完成させないままやめてしまったこと(前金はもらっている。)など、普通の美術本では語られないレオナルドの部分が本の中で触れられていて、巨匠がどんな人間であったか知れて面白いです。

 

いろいろと初耳でした。

 

 

 

 

ということで今日も「マンガでわかる日本絵画のテーマ」(誠光堂新光社 監修矢島 新)を読んでます。

 

 

今日はだるまについてです。

 

ダルマというとこのような目をいれる人形のイメージですね。


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私の家のダルマはだらだらしてます。

 


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絵にもダルマを描いたものが残されています。

 

そもそもダルマとは誰で、ナニをした人なのか?については知らないことが多いです。

 

なので今日はダルマさんがナニモノなのかについて見ていきたいと思います。

 

 


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まず、ダルマさんは伝説の仏教僧です。

 

 

本名は菩提達磨(ぼだいだるま)

 

 

 

 

ダルマさんの伝説は

 

『洛陽伽藍記』(らくよう がらんき)

5世紀頃、東魏(今の中国のある地域)の国で都のひとつである洛陽の仏寺の繁栄を記したもの。

 

『続高僧伝 』(ぞく こうそうでん)

梁の国(今の中国 のある地域)で『高僧伝』に続けて書かれた中国の高僧の伝記集。

 

など書物に記されています。

 

 

 

 

ダルマさんは西域南天竺国(南インド)の第三王子として生まれます。

 

そして、5世紀後半から6世紀前半に中国で活躍した仏教の僧侶です。

 

ダルマさんは中華五祖、中国禅の初祖とされています。

 

 

 

王子として生まれたダルマさんが出家を決意したのはお父さんの死でした。

 

もともと素質はあったのですが、苦しんでなくなったお父さんをみて死んだらどうなるかを七日間瞑想し、それでもわからなくて師匠に弟子入りし、修行の日々が始まります。

 

 

40年間の厳しい修行のあと、師匠が亡くなるときに、インドと中国に仏教を布教をするように言われます。

 

それからだるまさんの布教の旅が始まるのです。

 

 

 

インドをくまなく布教したダルマさんは次に中国へ向かいます。

その頃すでに100歳を超えていたとか…すごい。

 

 

 

 

⚫だるまさんの逸話⚫

ダルマさんは仏教を厚く信仰しているという梁の武帝に会い、歓迎した武帝は達磨に質問をします。

 

一問一答ですが、要約すると…

 

武帝

「私はお寺を建造したり、写経をしたり、仏教を厚く信仰してる方だと思うんだけれど、どんな功徳があるのかな?」

 

ダルマ

「ありません。煩悩のもとをつくっているだけです。」

 

武帝

(ガーン)


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話が噛み合わないまま、ダルマさんは武帝のもとを去りました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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↑の絵は雪舟が描いた「慧可断臂図」(えかだんぴず)です。

 

背中を向けている人がだるまさんです。

手前側の人は弟子の慧可(えか)という人です。

 

 

 

 

 

 

よくみると手首持ってるんですけどーーっっ!?


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と驚きますがなんと自分の手首を切り落としたものをもっています。

 

だるまさんのところへ弟子入りすることを一度は断られた慧可が、決意を示すために自らの手首を切り落として再度申し込みをする場面です。

 

クレイジーですね。

 

 

 

 

 

そしてダルマはなぜ手足がないか?問題ですが、ダルマさんは9年間という長い間、少林寺の壁に向かって座禅を組みます。

 

その間に手足が腐ってしまったという言い伝えから丸いダルマが生まれました。

 

こわいですね。

 

 


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↑は白隠が描いた「半身達磨」

 

臨済宗の僧であった白隠は修行と布教の一環として達磨を数多く描きました。

 

 

 

 

達磨を描いた画題としては

 

「面壁達磨図」

だるまさんが少林寺の壁に向かって座禅をしている図

 

「初祖問答図」

武帝とだるまさんの問答をしているときの図

 

「盧葉達磨図」

だるまさんが少林寺へ向かう途中、河を蘆の葉で渡ったとされるときの図

 

 

などがあります。

 

 

 

 

 

 

 


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↑は鈴木春信の「船中髭を抜く朱達磨と船を漕ぐ美人」です。


江戸時代には達磨を愛人、達磨屋を売春宿といった隠語として使っていたそうな。

 

パロディですな。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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参考・画像引用

達磨 - Wikipedia