リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

司馬江漢を知るー日本初の銅版画家ー

今日も生きてます。

 

雨ですね。

外を出回る日に雨は困ることもありますが、家にこもる日に雨は好きです。

心が落ち着いていいですね。

 

そういえば秋田に、「秋田音頭」という歌があります。

秋田の名産や良いところ自慢のような歌です。

おそらく秋田出身の方なら必ず知っているはず。

 

その歌詞の中に、

「秋田の国では 雨が降っても 唐傘などいらぬ(アーソレソレ)
手頃な蕗の葉 さらりとからげて サッサと出て行がえ…」

というものがあります。

 

秋田の昔の人って本当に傘を差さずに葉っぱで代用していたのかな?

トトロのようですね。

 

この秋田音頭はラップのようなもので、お酒の席などで即興で歌われていたようです。あまり知られていませんが、「裏秋田音頭」といううふーんなバージョンの歌詞もあります。うふーんというよりも性をネタにおおらかに楽しむような感じです。

 

「とんでも春画」(鈴木堅弘著、新潮社)という本を読み、江戸の春画ってみんなで見て楽しく笑っていたものもあったんだなあと思いました。性をモチーフにしている春画ですが、すべてうふーんなものでは無かったようです。

裏秋田音頭もですが、昔は現代よりも性的なものの見かたが多様ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日は日本で初めて銅版画をはじめた司馬江漢(しばこうかん)についてとりあげます。

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司馬江漢 「三囲景 」銅版画



司馬江漢「江戸のダ・ヴィンチ」の型破り人生』(池内了集英社新書)を参考にしています。読んでみて、司馬江漢の画業について深くは触れられていないかも…と感じたのですが、著者の池内了さんは美術史家ではなく、物理学が専門の方でした。

 

司馬江漢は絵を生業としていましたが、江戸時代で蘭学に大変興味を持ち、そこから得た知識を本として出版しています。

 

本の題名に江戸のダ・ヴィンチとありますが、美術だけではなく、科学や天文学など、様々なことに興味を持って活動していた点を重ねているのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

司馬江漢の経歴

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高橋由一司馬江漢像」

高橋由一(1828-1894) - http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4125, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28857681による

1747年

江戸で、陶磁器の商売を生業とする家に誕生する。

裕福な家であったらしい。

 

 

1761年

父が亡くなる

画家修業を始める

 

最初は狩野派の門下に入ったらしいが、詳細は不明。

その後美人画で人気を博していた鈴木春信に弟子入りする。

鈴木春信については以前取り上げました。

錦絵って何?カラフルな浮世絵を切り開いた絵師「鈴木春信」 - リアル絵描き日記

この絵どんな意味?鈴木春信の作品をみよう! - リアル絵描き日記

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春重という名前で浮世絵を制作していた。

 

1770年

鈴木春信が亡くなり、春信の贋作を制作するようになる。

 

1771年

唐画を描く宋紫石の元に弟子入りする。

 

1779年

秋田蘭画の一員である小野田直武から洋風画の指導を受ける。

蝋画(油絵)の技法を会得する。

 

1781年

母が亡くなる。

 

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司馬江漢「江漢母象」1781年

 

 

1789年

オランダ語が得意な蘭学者に協力してもらい、銅版画を制作する。

日本で銅版画をはじめて作ったのは司馬江漢でした。

 

(オランダ語を習いに先生のもとに入門したものの、司馬江漢オランダ語をマスターすることは無かったため、司馬江漢の知識はオランダの本を翻訳したものに限られる)

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司馬江漢「両国橋図」1787年

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司馬江漢「虎之門図」1786年

 

1788-1789年

長崎へ旅行する。

出島にて、外国の人や物に刺激を受ける。

この時に鯨漁も見物する。

 

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司馬江漢捕鯨図」1794年

 1799年

関西を旅行する。

 

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司馬江漢駿河湾富士望遠図」1800年

1805年 

最後の銅版画を制作する。

これ以降は木版の作品を制作する。

 

1807年

 

退隠書画会を開催する。

 

開催にあたってチラシを配っていますが、そのチラシの中には

「江漢は中年になってから西洋画を学ぼうとしたが、その真実がわからず、オランダの書を探索し、長崎に渡来したオランダ人に問うて、ようやくモノにすることができた。

耳順(60歳)になって気力も衰えてきたので画業を門人の江南に譲り、閉居するつもりである。よって今年の4月8日の万八楼で記念の会を催しますので、都下諸名貴客の皆様、どうぞおいでください。」

という文言と、当日に出品される江漢の作品一覧と、その作品を当日の来場者の求めに応じて進呈するというような内容が記されています。

 

しかし、その後も江漢は普通に制作を続けています。

 

1808年

この年、数え年で江漢は62歳になる。

この年からなぜか江漢は自身の年齢を9歳多く偽り始める。

 

1812年

京都へ旅行する。

 

1813年

円覚寺の禅師に入門する。

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司馬江漢「七十六翁司馬無言辞世ノ語」1813年

↑のチラシは江漢が自分が死んだという事を偽って配ったチラシです。江漢はこのチラシを江戸・京・大阪で配ります。

 

なぜかこの江漢は自分が死んだと偽り、広めます。

 

死亡通知を出した後はひっそりと潜伏していたようです。

 

 

1818年

72歳で亡くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

〇江漢の著作

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1792年に司馬江漢が発行した「地球全図」

江漢は絵のみならず、数々の著作も残しています。

「西遊旅譚」「興地略図」「地球全図略図」「和蘭天説」「おらんだ俗説」「西洋画談」「地転儀略図解」「吉野紀行」「種痘伝法」…

 

絵のことのみならず、宇宙の仕組みや地動説の本も描いています。その本の挿絵も自らが描いています。

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天球全図の挿絵。太陽の図。

 

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天球全図の挿絵。月の図。

 

 

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「天球全図」の挿絵。天球儀の図。

 

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「天球全図」の挿絵。天動説・地動説の分析を試みた図。

 

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「天地理譚」の中の挿絵。熱気球のスケッチ。

 

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和蘭天説」の中の挿絵。二つの天体の間を図る機械「紀限儀」のスケッチ。 

 

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「天地理譚」の中の挿絵。湿度計・温度計のメカニズムを記している。

 

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これは挿絵ではないが、江漢が制作した補聴器のチラシ。

 

 

 

 

 

 

〇嘘つき江漢?

 

江戸の人々は番付が好きであったようで、様々なものが番つけされました。

(現代の人々もランキング大好きですよね)

 

 

当時の蘭学者たちを番付したものもあり、司馬江漢の名前も記されています。

 

 

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「紋番付」1796年

下の右から二番目に司馬江漢の文字がある。

 

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蘭学者相撲見立番付」1798年

上から2番目左から6列目に江漢の名前がある

 

蘭学者芝居見立番付」1796年

 

一枚目

この中で江漢は「昼夜の紋」の下に「司馬漢右衛門」と記されています。

これは暗に昼は絵師で夜は天文家であるということを表しています。

(司馬江漢蘭学から離れている人間であるという事を示しています。)

 

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二枚目

「司馬漢右衛門」に振り分けられたのは「曾我の満江」という役柄です。

これは「満江」に高慢と江漢を描けています。

 

他に振り分けられた配役も見てみますと、

・唐絵屋の丁稚猿松 司馬漢右衛門

唐絵は司馬江漢が唐の絵を描いていること、猿松は司馬江漢の銅版画は猿真似に過ぎないことを暗に言っています。

 

・銅屋の手代高慢うそ八 司馬漢右衛門

銅屋は銅版画を制作していること、それを日本製として誇っていることを高慢で嘘つきだと暗に言っています。

 

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江漢は気難しい面があり、周りの蘭学者たちと衝突していたようです。

蘭学者が出版した本をこき下ろしたり、同じような本の出版のアイディアを他の人が少し先に進めているのを知って先に出し抜いて出版したり…

 

蘭学者たちは研究を進めていくうえで幕府の協力が必要であったため、幕府と対立は避けていましたが、江漢は幕府の政策によっては反対の姿勢をとっていました。

 

江漢の著者の中でもちょっとしたことが事実と違っていたり、江漢の都合のいいように書かれている箇所があります。

 

そういうことを平気でするところが不誠実に思われていたんでしょう。

 

また、銅版画の手法もその方法を詳しく著書の中で紹介するようなことはしていません。地動説などはやたら広く知らしめようとしているのに、銅版画の方法を教えようとしないのは、他の人間に銅版画をつくられたくない思いが働いていたのでは?と思われます。

 

亜欧堂田善という人物が司馬江漢の弟子入りをお願いしますが、司馬江漢は断ります。この亜欧堂田善(あおうどう でんぜん)は後に幕府の庇護のもと銅版画の研究をし、司馬江漢より完成度の高い作品を制作しました。

 

 

 

 

 

 

 

芸術家ってその道一本のイメージあります。

しかし司馬江漢は好奇心旺盛で気が多い人のようでした。こういう人もいるんですね。突飛と思われ利用な行動も多く、奔放に生きているように感じました。

羨ましい限りです。

 

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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秋田蘭画雑談。

今日も生きてます。

 

『マンガでわかる「日本絵画の見かた」-美術展がもっと愉しくなる!ー』矢島新監修を少しずつ読み進めています。

 

このような年代順に日本の美術作品を解説していく本の中で、必ず紹介される秋田蘭画」(あきたらんが)

 

私のふるさと秋田で生まれたとされるアートなので、江戸や京都で流行った美術よりは身近に感じております。

 

以前ブログでも取り上げました。

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しかし今までは秋田蘭画の何がすごいか、なぜ江戸時代の最後で必ず取り上げられるのかよくわかっていませんでした。

 

 

しかし同時代に描かれていた作品と見比べると、確かに当時は異色のアートであったのかなと、やっとわかり始めました。

(正直現代の日本の中で絵画といえば、洋風の油絵(印象派風の風景画など)で、日本画の方が敷居高いイメージです。当時の人々と感覚が違いすぎますね。)

 

秋田蘭画が描かれた時代と同時代に描かれた作品を見比べてみたいと思います。

 

秋田蘭画(1770年代)

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小田野直武「東叡山不忍池」(1770年代)秋田県立近代美術館所蔵

Odano Naotake(1750-1780),Samurai Artist of Akita ranga - 秋田県立近代美術館〈The Akita Museum of Modern Art〉, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2428063による

 

 

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佐竹曙山「湖山風景図」(1770年代)秋田市立千秋美術館所蔵

en:Satake Shozan(ja:佐竹義敦1748-1785), a Japanese feudal lord (daimyō) of Akita and founder of the Akita ranga - [1]秋田市千秋美術館〈The Akita Sensyu Museum of Art〉, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2440888による

 

 

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小田野直武「児童愛犬図」(1770年代)秋田市立千秋美術館所蔵

Odano Naotake(1750-1780),Samurai Artist of Akita ranga - 秋田市千秋美術館〈The Akita Sensyu Museum of Art〉, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2428479による

 

 

 

同時代の作品 

 

 

 

 

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勝川春章『風流錦絵伊勢物語』 安永2年(1773年)刊行

Katsukawa Shunshō (Japan, 1726-1792) - Image: http://collections.lacma.org/sites/default/files/remote_images/piction/ma-31800665-O3.jpgGallery: http://collections.lacma.org/node/189479 archive copy, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27216222による

 

 

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湖龍斎「雛形若菜の初模様 金屋内うきふね」大判揃物 ※安永6年‐天明2年頃

 

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与謝蕪村「十便十宜図」(川端康成記念会)画帖 国宝 1771年

Yosa Buson(1716 - 1784) 与謝蕪村 - Kawabata Foundation (公益財団法人 川端康成記念会) 記念館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2112199による

 

 

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円山応挙 『雪松図屏風』 1786年(天明6年)

円山応挙(1733年- 1795年) - scan by User:Fraxinus2, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18569700による

 

 

 

 

 

 

見比べる作品のチョイスの問題はあるかもしれませんが、こうやって見比べてみると秋田蘭画全然違いますよね。

 

秋田蘭画葛飾北斎よりも前の時代のアートなので、モチーフを前後に配置して空間を広く見せる遠近つけ方なども、他にはあまりなかったのかなと思います。

 

油彩って少しこってり感がきつく感じるときがあるのですが、秋田蘭画を見ると画材は日本画なので絵の質感はさっぱりとここちよくて、画題の表現はこじゃれているようにみえてなかなかいいですよね。

 

 

小学校中学校の教材資料(便覧)の表紙や中に、秋田蘭画の作品掲載されていましたがこういうの全く感じなかったな。

 

今日は少し成長した気分です。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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北斎スタイルを学ぼうー「北斎漫画早指南」-

今日も生きてます。

 

前回は文字ゑについて取り上げました。

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今日は文字で絵を描く方法を指南した北斎漫画早指南」を取り上げます。

 

 

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葛飾北斎は弟子がたくさんいたらしく、その弟子たちのために絵の描き方を描いた本を出版しています。

 

この中には文字で絵を表現するものや、図形から絵を表現した例など、絵を描いていくコツが掲載されています。

 

画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用しています。

人気のある本だったようで、初版は江戸時代ですが、画像の物は明治時代につくられたものです。

 

 

少し見てみましょう。

 

 

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前回の文字ゑとは全く異なる趣です。

左端の歌にある文字をもとに図が表現されています。

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使用されているパーツや順番は上に書かれています。

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み、みても描けなさそうだな…

他にも掲載されています。

 

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現代にある子供が歌って描けるような絵描き歌ではなく、プロ用絵描き歌というような感じで、難解です。

 

しかし北斎がこのように絵を分解し、構成するような考えも持っていたことを知られていい資料です。

 

 

 

この絵描き歌以外にも図形の組み合わせで絵を構築する方法も「北斎漫画早指南」には掲載されています。

 

こちらの方がわかりやすいかもしれません。

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個人的には↑の「ほえ?」と振り返るお兄さんがかわいらしくて好きです。

 

現代でも人体のスケッチをするときに図形を描いてバランスを見たりする手法ありますよね。

 

北斎は絵の構図を考えるときも図形を活用していたのでは?というような文章もよく見ます。

 

富士のシリーズの絵に図形を重ねると絵の要所と図形の各箇所が重なったりするんですよね。

 

構図は奥が深いです。

 

私はそのように幾何学的に構図を構築する方法を用いませんが、このような指南書をみると刺激されます。

 

図形を使うとなんだか絵の中にリズムをつけやすいようにみえます。

 

 

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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何屋さん?文字を探そう!ー文字ゑの世界ー

今日も生きてます。

 

 

日本語のカタカナの「ツ」が、欧米で顔文字として使用されることがあるそうです。

 

 

¯_(ツ)_/¯

 

どうですか?

 

見えますでしょうか。

 

ツの点々部分が目、上から下へ払っている部分が口です。

 

そして「¯_(ツ)_/¯」は顔の高さで手のひらを天に向けているポーズで、「さあ?」というような意味合いになるようです。

 

KKベストセラーズが運営しているサイトBESTTIMESというサイトの中に「絵文字進化論」という連載があり、そのコラムの中で紹介されていました。

 

 

¯_(ツ)_/¯

 

日本人だとどうしても読んでしまいますが、純粋に図として認識できる人にとっては顔に見えるんですね。

 

 

このように文字を他の何かに見立てて表現する方法は江戸時代から流行っていました。

 

ということで今日は文字絵を取り上げたいと思います。

 

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国立国会図書館デジタルコレクションより引用

上の画像は「新文字ゑつくし」(昭和5年)の表紙に掲載された画像です。

 

このような「文字絵つくし」は昔から刊行されています。

 

初めて出版されたのは、貞享2(1685)年に出版された園果亭義栗画の『文字絵つくし』は、三十二点の図が描かれて、文字絵がその人物の仕事の名からできています。



寺子屋でも文字絵を教えていたこともあり、識字率の高い江戸では文字遊びを理解する町人が多かったようです。

「新文字ゑつくし」の中をみてみましょう。

 

 

 

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向かって右上に「ところてんうりといふもじゑ」と書かれています。

 

そしてにゅるーんとところてんを押し出している男の体に「ところてんうり」という文字が隠れています。

 

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いく世餅というお店なのかな?

奥で餅を焼いてる(?)人が居ます。

 

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亀を頭にのせてる!

どんな職業なんだろう…。

 

 

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ちんころというお菓子があるようです。

その店先の様子でしょうか。

 

 

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器屋さんかな。

 

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猿まわしの様子ですね。

 

 

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表紙ですが、読めない!笑

 

 

 

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甘酒屋さんですかね。

お客さんが甘酒を飲みながら「んまい、んまい」と言っているような表情です。

 

 

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ゑとうけん(?)って何だろう。

何屋さんかな?講釈師?

 

 

 

 

 

江戸の書体と現代の書体が違い過ぎて読めないですね。

個人的に文字が絵の中に溶け込んでいる面白さより、その時代の風俗を覗くような楽しさがあります。

 

 

 

知らなかったのですが、世界的な文字の規格であるUnicodeの中に、絵文字は「Emoji」としてローマ字表記で登録されているそうです。

 

絵文字って日本初らしいです。

 

知らなかった…。

 

 

このように絵文字がたくさん使用され、生産される背景には、江戸時代から続く文字絵の文化が影響しているのかなーと思います。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用しております。

絵文字で般若心経をよんでみるー「絵心経」-

間が空いてしまいましたが、元気に生きています。

 

今朝からずっと眼鏡を探しています。

どこやったかな~。

 

私は寝ている間よく動き回ってしまうタイプです。

 

起きている時間あまりにも体を動かさないので、もしかしたら眠っているときにエクササイズしているのかもしれません。

 

そして昨晩もおそらく眠りながら動き回っていたのだと思います。

 

何か蹴ったんですよね…。

 

蹴った瞬間「ん?」と起きたのですが、すぐ寝てしましました。

 

あれ、たぶん眼鏡だな。

 

 

さて、どうでもいい話は置いておいて、今日は「絵心経(えしんきょう)を取り上げます。

 

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「東西遊記

 

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国立国会図書館デジタルコレクションより引用

 

何やら文字絵が羅列しています。

 

実はこれ般若心経を意味しています。

 

江戸時代に京の儒医である橘南谿(たちばな なんけい)が日本の各地を旅したものをまとめた本「東西遊記の中に掲載されているものです。

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藤浪剛一『医家先哲肖像集』より橘南谿

藤浪剛一 - 藤浪剛一『医家先哲肖像集』刀江書院 (1936) via 国会図書館デジタルコレクション, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=72810774により引用

 

 

江戸時代、文字を読めない人のためにこのような図で表現された般若心経がありました。

 

これを「絵心経」(えしんきょう)と呼びます。

 

盲心経(めくらしんきょう)とも呼ぶようです。

この表現は現代にはふさわしくありませんが、画像の中では盲心経と示されています。

 

画像は橘南谿が現在の岩手県の近くを旅した時に見聞きしたもの。

 

般若の顔が描かれているので、これは般若なのかな~

頑張れば現代の私たちでも理解できそうです。

 

Wikipedia情報ですが、この絵心経を最初に描いたのは元禄年間の(今の)岩手県の善八という方のようです。

 

ここからどんどん広まっていきました。

 

 

検索していたらこの絵心経が印刷されたマスキングテープや手ぬぐい、トートバッグなどのグッズも展開されています。

 

般若心経って漢字の羅列で堅苦しい印象もありますが、絵で表現されるとかわいいです。

 

このように現代まで受け継がれて生活に溶け込もうとしているのが面白いですね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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亀人間?奇怪な浮世絵?ー歌川国芳の戯画をみようー

今日も生きてます。

 

東京都のコロナ感染者のための病床って、ほとんど埋まっているものかと思っていました。

 

実際は半数以上空いているそうですね。

 

医療現場もどたばたで、正確な入院者数・退院者数を把握できていなかったようです。

 

不正確な数字を発表していたことについては「?」が残りますが、少し安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回はにゃんこ東海道について取り上げました。

歌川国芳東海道五十三次を猫で表現した浮世絵です。

 

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引き続き歌川国芳の作品を取り上げたいと思います。

 

 

国芳は浮世絵の王道ともいえる美人画や役者絵もたくさん残しています。

 

しかし天保の改革によって贅沢な浮世絵は禁止されてしまいます。

 

そんな中、規制を潜り抜けて表現した国芳の作品が面白いです。

 

今日は国芳「戯画」を取り上げます。

 

 

 

 

 

〇役者絵?

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歌川国芳「亀喜妙々」

 

上の作品、シュールですよね。

 

歌川国芳「亀喜妙々」(ききみょうみょう)です。

 

亀に人間の顔が生えています。

 

個人的には人面犬よりインパクト大。

 

 

 

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これは妖怪絵とかではなく、役者絵が幕府に禁止されてしまったために、役者を亀にして(!)表現した浮世絵です。

 

よく見ると甲羅の模様が少しずつ違うのがわかりますでしょうか?

 

これはそれぞれの家紋を模しているそうです。

 

 

当時の江戸の人々はどの亀がどの役者か見分けがついたんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

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上の作品は国芳

 

『荷宝蔵壁のむだ書』(にたからぐらかべのむだがき)

 

という作品です。

 

人の顔の特徴のとらえ方がプロだけど、描き味は落書き風です。

 

こんな描き味の浮世絵他にありますでしょうか?

 

 

役者絵が禁止される中、「荷宝蔵」と呼ばれる土蔵の外壁に描かれた歌舞伎役者の落書きを描いた…という体の浮世絵です。

 

この「荷宝蔵」にも「似たから」がかかっているようです。

 

 

 

 

 

 

〇寄せ絵

 

寄せ絵とは、あるものを集めて一つの物を表現する手法で、戯画の一つです。

国芳は寄せ絵も面白い浮世絵を残しています。

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『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』

 

人間が寄り集まって人をかたどっています。

 

よく見ると、大きな人間を構成している部分的な人々は様々なポーズを取っています。

 

人の顔の中央にある「鼻」がお尻なのも面白いです。

 

画面左上には

 

「大ぜいの人が よつて たかつて とふと いゝ人をこしらへた とかく人のことハ 人にしてもらハねバ いゝ人にはならぬ(大勢の人が寄ってたかって、とうとう、いい人をこしらえた。兎角、人の事は人にしてもらわねば、いい人には成らぬ)」

 

とかいてあります。

 

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『人かたまつて人になる』

 

 

個人的に足が手の指になっているのが少し不気味。でもいい。

 

画面上部の言葉

 

「人おほき人の中にも人ぞなき 人になれ人 人になせ人 (人多き人の中にも人ぞ無き 人に成れ人 人に為せ人)」

 

 

 

 

 

 

 

 

〇当て字

 

文字で当て字という表現があります。

国芳は絵で、しかも猫で当て字を表現しました。

 

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猫が大好きで制作場所にも猫がいたという国芳

 

もしかしたら猫のいろんなポーズを見ているうちに文字を思いついたのかもしれません。(勝手な憶測です。)

 

 

上の画像が「猫の当て字 なまず

下の画像が「猫の当て字 かつを」です。

 

 

細部の部分を構成している猫たちをみていると和みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自身も楽しみながら庶民も喜ぶ絵を制作し続けた国芳

規制を逆手にとってこれならどうだあ!という感じが粋で江戸っ子な感じがします。

 

 

個人的には七福神が遊んでいる絵も好きです。

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『戯遊七福神安政6年(1859年)

 

 

どんな状況でも楽しむ気持ちを忘れてはいけませんね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

akashiaya.jimdofree.com

 

 

 

猫好きのための東海道?歌川国芳の猫飼好五十三疋(みゃうかいこうごじゅうさんひき)を見る

今日も生きてます。

 

天使にラブソングをが地上波で放映されていました。

 

小さなころ見たことがあったのですが、久々に鑑賞しました。

 

 

1992年の映画という事で、私が生まれた年に公開された映画なんですね。

 

今の時代まで愛されてるとは…名作ですね。

 

最初しなびたカジノのステージで歌い、聞く人もおらず拍手もまばらという状況の主人公が、ラストのシーンでは大勢のお客さんと法王の前で拍手喝采を浴びているというコントラストは気持ちがいいです。

 

面白いのは歌っている曲が同じことですよね。

シスターが歌うと意味合い変わるのがね。言葉って不思議。

 

映画って全ての選択を無駄なく意図的に(&自然に)仕掛けなければならない厳しさありますね。

 

続編は見てないのでみてみたいなあ。

 

 

 

 

 

 

今日も自宅に引きこもり「マンガでわかる『日本絵画』の見かたー美術展がもっと愉しくなる!」監修矢島新を読んでいます。

 

前回はブログでは歌川広重東海道五十三次を見ました。

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

 

今日は歌川国芳の猫好きのための東海道ともいえる

 

「其のまま地口猫飼好五十三疋」

(そのままじぐちみゃうかいこうごじゅうさんひき)

 

を取り上げます。

 

 

 

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歌川国芳「其のまま地口猫飼好五十三疋」

Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5246675

 

題名にある「地口」(じぐち)というのは江戸時代の頃流行した語呂合わせや洒落のことです。

 

具体例としては…

 

・敵もさる(猿)ものひっかくもの

・なんだ神田の大明神

・いらぬお世話の焼き豆腐

 

などなど。

 

このような自作の地口を行灯に書いてお祭りの際に道に立てたり、軒先にかけたりしていたようです。

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浅草伝法院通りの地口行灯

Tak1701d - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7365765による

 

たまにこういう言い回し聞きますが、なんで不必要な言葉を語尾にくっつけるのか少し不思議でした。(冗談が効かないタイプなので。)

 

江戸の文化なんですね。

 

 

 

そして 「其のまま地口猫飼好五十三疋」の作品では、東海道の地名を、地口と猫で表現しています。

 

 

 

歌川国芳の経歴についてもとり上げたいところですが、とりあえず今日は国芳が地名ををどのような地口と猫で描いたか一つ一つみて楽しみたいと思います。

 

 ⚫日本橋(にほんばし)

 

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二本だし

かつお節二本)

 

 


⚫品川(しながわ)

 

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白かを

(白猫の顔)

 

 


⚫川崎(かわさき)

 


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かばやき

(岡持ちに入った蒲焼)

 

 


⚫ 神奈川(かながわ)


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かぐかハ

(竹の皮の匂いをかぐ)

 

 


⚫ 程ヶ谷(ほどがや)


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のどかい

(のどがかゆい)

 

 


⚫ 戸塚(とつか)


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はつか

(ハツカネズミを見つける)

 

 


⚫ 藤沢(ふじさわ)


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ぶちさば

(サバをくわえるブチ猫)

 

 


⚫ 平塚(ひらつか)


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そだつか

(子猫が元気に育つか?)

 

 


⚫ 大磯(おおいそ)


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おもいぞ

(大ダコを引きずって重いぞ!)

 

 


⚫ 小田原(おだわら)


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むだどら

(ネズミを逃がして無駄足のドラ、むだどら)

 

 


⚫ 箱根(はこね


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へこね

(ネズミにエサを取られてへこ寝)

 

 


⚫ 三島(みしま)


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三毛ま

(三毛が猫又という魔物に)

 

 


⚫ 沼津(ぬまづ)


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なまづ

ナマズと向き合って)

 

 


⚫ 原(はら)


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どら

(ドラ猫が叫ぶ)

 

 


⚫ 吉原(よしわら)


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ぶちはら

(腹の模様がブチ)

 

 


⚫ 蒲原(かんばら)


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てんぷら

(目の前のものはテンプラ)

 

 


⚫ 由井(ゆい)


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たい

(大きなタイをくわえる)

 

 


⚫ 興津(おきつ)


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おきず

(起きない!)

 

 


⚫ 江尻(えじり)


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かじり

かつお節を丸かじり)
 

 

 

 

 

 


⚫府中(ふちゅう)


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むちゅう

(ネズミに夢中)

 

 


⚫鞠子(まりこ)


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はりこ

(猫の張り子)

 

 


⚫ 岡部(おかべ)


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あかげ

赤毛の猫)

 

 


⚫藤枝(ふじえだ)


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ぶちへた

(ブチ猫はネズミ捕りが下手)

 

 


⚫嶋田(しまだ)


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なまだ

(この魚、生焼けだにゃ)

 

 


⚫金谷(かなや)


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たまや

(玉のように太ったタマや)

 

 


⚫ 日坂(にっさか)


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くったか

(舌なめずり猫に対してたくさん食ったか)

 

 


掛川(かけがわ)


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ばけがを

(化け猫の顔)

 


⚫袋井(ふくろい)


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ふくろい

(猫の頭に袋)

 

 


⚫ 見附(みつけ)


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ねつき

(寝つきのいい猫)

 

 


⚫ 浜松(はままつ)


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はなあつ

(鼻が熱い)

 

 


⚫ 舞阪(まいさか)


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だいたか

(子猫を抱いたか?)

 

 


⚫ 荒井(あらい)


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あらい

(猫の顔洗い)

 

 


⚫白須賀(しらすか)


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じゃらすか

(子猫でもじゃらすか)

 

 


⚫二川(ふたがわ)


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あてがふ

(母猫が子猫にあてがう)

 

 


⚫吉田(よしだ)


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おきた

(起きたにゃ。)

 

 


御油(ごゆ)


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こい

(恋)

 

 


⚫ 赤坂(あかさか)


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あたまか

(めざしの頭か…)

 

 


⚫ 藤川(ふじかわ)


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ぶちかご

(かごの中のブチ猫)

 

 


⚫岡崎(おかざき)


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おがさけ

(尾が二つに裂けて猫又に変身)
 

 


⚫ 池鯉鮒(ちりゅう)


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きりゃう

(器量よし)

 

 


⚫ 鳴海(なるみ)


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かるミ

(軽い身のこなし)

 

 


⚫ 宮(みや)


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おや

(親猫と子猫)

 

 


⚫ 桑名(くわな)


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くふな

(まだ食うな)

 

 


四日市(よっかいち)


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よったぶち

(寄り添うブチ猫ズ)

 

 


⚫石薬師(いしやくし)


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いちやァつき

(いちゃつく猫)

 

 


⚫庄野(しょうの)


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かふの

(今日からこの猫を飼うの)

 

 


⚫ 亀山(かめやま)


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ばけあま

(化けた尼さん)

 

 


⚫関(せき)


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かき

(好物のカキ!)

 

 


⚫坂の下(さかのした)


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あかのした

(赤い舌)

 

 


⚫ 土山(つちやま)


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ぶちじゃま

(ブチが邪魔にゃん)

 

 


⚫ 水口(みなぐち)


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ミなぶち

(体中みなブチ模様)

 

 


⚫石部(いしべ)


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ミじめ

(やせこけてみじめな体)

 

 

 


草津(くさつ)


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こたつ

(コタツ

 

 


⚫大津(おおつ)


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じゃうず

(ネズミの投げ方が上手)

 


⚫京(きょう)

 


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ぎゃう

(ネズミは渡さないギャウ!)
 

 

 

 

 

 

 

ちょっと無理を感じられる洒落もありましたが、全て猫で東海道を表現していましたね。

 

歌川国芳は猫好きだったようです。

 

 

他の作品でも猫が登場する作品があります。

 

以前も国芳についてはブログで取り上げましたが、また取り上げたいな。

 

 

 

自分が好きなモチーフで東海道を作るの楽しそうですね。

行ったことがない地域の方が多いので、妄想東海道五十三次になってしまいます。

 

意外にそちらの方が面白そうです。

 

 

今日はここまで。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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